2009年5月30日(昼・夜) ワークショップ講演内容


病気の気は本来、病いと気が一緒になったものですが、この気とは何なのでしょう?

気、元の漢字は、「氣」です。
米という文字が中に入っています。
病いには、気がなく、病気には気がある。
ようは、病いが気になると病気になりますという事だと思う。
そして、気は精神的な事と身体的な事が関係しています。
それが、中の「米」にあります。
穀物がこれにあたる。
いうなら、主食だ。
米自体は玄米です、これを精米した物が白米です。
だけど米以外にも、穀物はあります。雑穀という。
麦、ひえ、あわ、とうもろこし、大豆、小豆等がそうです。
穀物の気が私達には必要な事が判る。
次は、空気が大事です。
肺に酸素を供給し息をする事ですが、二酸化炭素を排泄します。
この息は、自ら行う自然の行為です。意識せず、無意識で行います。
血液に酸素を送ります。

この氣には、二つの事が言えます。
ところが、「息」という漢字は、「自らの心」となっています。
上は自分を、下は心を表す。
呼吸とは単に空気だけではなく、心の息を意味します。
心に栄養が必要になる。心の毒を排泄する事も必要です。
心の栄養は元気といいます。
心の毒は邪気と呼ばれます。

気が病むとは、このような三つの事が言えるのではないでしょうか。
食事、酸素、心。
では、食事ならどのようなことにこの気が関係しているのかを一緒に考えたいと思います。

食物の気

自然から出来る食物は、山、川、畑、海にあります。
山菜、穀物、野菜、果物、魚、肉、海藻等が食物になります。
生きている時これらは、自然の中で生命体として存在していた。
食物としての存在ではなく、そこに生きる生物です。
生きていること自体に、気があります。
これは精気ともいいます。
精気とは、生命自体にあるエネルギーの事なのです。
万物の生きるエネルギーを気と名づけました。
生命エネルギーともいえます。
食物の気は、この事です。

次に、酸素ならどのように気と関係しているのでしょう。
空気。
空気の生命エネルギーこそ、あらゆる生き物にとって必要な物です。
植物、動物、昆虫、魚が生きる為の空気自体に生命の営みがある。
空気中の酸素を、または海中の酸素を身体に取り入れています。
空気がそのまま体内では栄養になります。二酸化炭素を出す事は体内の排泄をしています。
酸素の気が命の源です。

そして、心はどのように気と関係しているのでしょう。
息を吐く事は単に、酸素、二酸化炭素の事だけではない。
二酸化炭素のような無駄な物を排出しているのでは。
二酸化炭素は空気を体内で取り込んだ後に、出来る事は誰にも納得がいくと思う。しかし、心の中の、この二酸化炭素とは何?
邪気ともいいます。毒素みたいな物です。
これが体内でストレスとなる。
でも、ほとんどは無意識にストレスを感じている。
ちょうど北極の氷が沈む、その海面下の所だと思ったらどうでしょう。
無邪気には、この毒素がない。
大人になるに従い、無邪気の無がどんどん、取られたりする。
元気こそ、心の栄養です。
どんなにストレスがあっても、心が元気なら生きていく事ができます。

病気はこの三つの気の乱れが原因しています。


食事の事

食物とは、植物と動物にある命をいいます。
植物は野菜、海藻。
動物は家畜と牛です。
この命を食すこと、それが命の栄養です。
生きた生物を殺す事は、殺生ともいいますが。食事自体、生物が死んだ後の死骸が動物のことです。
ところが、植物は死骸ではなく、そのまま、生きた生物なのです。
新鮮な命があふれたその存在に感謝をしたくもなります。
同じく、動物にもいえます。
海の魚、陸の牛、豚、鶏、羊には命があって、お互いに生存をしています。共同体を作る、家族がいます。
産卵、出産がある。
親、親戚がいる。
兄弟、姉妹がいます。
殺生には、この生きたもの達を大切にする考え方があると思う。
命あるものはみんな感情があるはずです。
心は少なからず存在する。
犬、猫、小鳥はペットとして飼うこと、そして飼い主がペットに愛情豊かに注ぐなら必ず返って来ます。
熱帯魚は水槽内で餌をもらう。
水族館の魚が観賞用にある。
お寿司屋さんの刺身のねたが泳いでいるとは思わない。
動物園の動物は可愛い。
それを見る人には憩いがあります。誰もペットにしたくなっても、お食事のおかずにしようとは思わないはず。
だちょう、きりん、わにはアフリカだったら食料です。
だちょうの卵は大切な食事。本当はお母さんのお腹から出た子供です。
鶏にも同じ事がいえます。

では植物にはこの事がいえるのでしょうか。
親、兄弟がいるという事、親戚がいるという事。
とても考えられない。
食卓にあがる植物達には感情がある事は多くの人は知らない。
科学者はこれを実験で証明しています。
でも動物の世界と同じような感情は持っていない。
だから、植物を食すことは殺生とは言わず、お釈迦さんは菜食主義です。
命の事を学んだらこれは、生きる人にとって最大に関心事。


空気の事

空がある、そこには美しい青く光る天空。
太陽がある、そこにはあらゆる生き物にとって大切な光がある。
光合成や人間の命はその存在自体、宇宙のエネルギーで満たされている。
穏やかにうねる海がある、そこには色々な生物がいる。
プランクトン達を食す小魚。
小魚を食す、大きな魚達。
そして、その大魚達を食すイルカ、鮫、鯨。
海の光合成は海藻と植物プランクトンで行われる。
陸の光合成は植物で行われる。
すべて、美しい太陽の光とエネルギーです。
空気自体は宇宙のエネルギーが凝縮されています。
必要な空気の栄養素があります。酸素、窒素、炭素等。
これらを私達は食します。


心の事

音楽、絵画、果物等の感受性は人間の感覚器官で行う。
耳、目、口、鼻、手。
この五つが感覚器官です。
美しく、聴こえよく感じたりすると心は落ち着く。
香りよく、感触がよい事にリラックスする。
心はこの感覚であらゆる事を判断します。
きれい。美味しい。うっとりする香り。触ってみる。
この感覚が心の受け皿です。
ところが、汚くて、見たくなく、聴きたくない、触りたくない、嗅ぎたくない。
これはどのような心となるのでしょう。
みんな無意識で嫌だ!
この無意識とは、感受性、感覚の事なのです。
クレオパトラの臭い嫌い、百年の恋は口臭で冷めるという事はにんにく臭だったりする。
この口臭ですら心で感じます。
美とは、この心の素直さの表現だと思う。
だけど、世の中のほとんど、この美がなくなった。
だから心は醜い事を受けて、悲鳴をあげている。
心の毒素が体内で沢山たまっている。
邪気はこの毒素をいいます。

言葉、行動が如何に人間の心理に影響するのか。
あなたの周囲で優しさがいっぱいあるのなら、心は優しさで包まれます。
だが、怒りでいたら。
あなたの心は怒りで包まれます。
音楽と同じく、心地よい音がうっとりさせてくれる如く、うるさい音がストレスになってくる。
工事現場の音がそうです。
泣いてばかりの赤ちゃん。
パチンコ店も同様に。
この騒音と同じく、心の声に雑音がある人は周りは嫌な感じ。
これはストレスです。
人間は無意識に、人の心を聴いています。
このような物音が次第に、あなたの身体を病気に誘う。


養生とは

命を養う。
命自体に多くの栄養を与えてあげる事。
ならば、命とはどんなように表れたりするのか。
生活。
暮らし。
仕事、家事。
遊び。
食べる、休む、寝る。
これらはすべて命の表現です。
生活自体は人間が行う命感覚です。

命を養うことは、それ自体、肉体と心を養う事です。
肉体とは、血液、骨格、神経、内臓で出来た物です。これを養う。
食事が大切。
細胞六十兆個にすみずみにまで行き渡る、透き通る命は生きている食物を摂取することが必要になる。
生きている事が大前提です。
命のパワーこそあらゆる、生きとし生けるものを養います。
命のパワーは、生命素につながる。
だから、人間はその細胞に活力が出て、生きられる。

食養こそ命が若くなる秘訣です。
新鮮な野菜と穀物がいかに大切か。
だから、食材選びにこだわります。


呼吸は空気のエネルギーを取り入れる。
気の養生。
深呼吸、深い息を吐き吸う。体内に大きく広がる呼吸は酸素を細胞自体に与える。気持ちが大きく変化する。
うまい空気を味わう。
身体にこたえる空気自体、新鮮だったらもっと身体に空気の命を与えたらいい。

心の養生

喜びを心にたくさん与える。
喜びとは、明るい事。そして、うれしい事、楽しい事です。
人生にこの明るい命がある人は、いつも愉しく生きたのではないでしょうか。
また、そのような努力をしてきたのではないでしょうか。
人間にはその環境作りができます。
明るさがある環境とは、優しくて人には親切な感じで、すっきり、おだやかな感じがあることですが。人間的な感覚はいつも対社会ではいつの間にか、磨り減ったりもすることがよくある。
この優しさを取り戻す事を、私達が意識したらきっと、きらきらに輝く心の光になる。
ストレス社会に生きている。その時、本当の人生を再確認する事、それは心の養生です。
精神を鍛錬する。
この鍛錬は昔、多くの人が行っていた。
おのれを鍛えたりする。
そこに辛いが喜びと達成感があると思う。